【学生インタビュー第3弾 順天堂大学 冨永心大さん】15年続けた野球をやめる、という大きな決断。野球以外何の取り柄もなかった学生の人生を180度変えたインターンとは。

こんにちは。今回は活躍する学生インタビュー企画第3弾です。TAMMANI Bar TOKYO代表で順天堂大学4年の冨永心大さんです!TAMMANI Barの運営を通して、学生の夢や目標を語り合う場所作りをされている冨永さんにお話を伺いました。

(インタビュアー:遠藤 知佳 記事作成協力:遠藤 知佳、稲尾拓也 記事編集:小林宥太)

<冨永さんプロフィール>
東京板橋区生まれ。小学校1年生のときに野球を始める。 中学・高校でも野球を続け、順天堂大学入学後も硬式野球部に。 大学3年夏に出会ったあるサマーインターンで人生が大きく変わる。 現在、順天堂大学スポーツ健康科学部4年在学中。TAMANI Bar TOKYO代表。 来春よりアロージャパン株式会社に就職予定。

小学校から大学まで15年続けた野球

ちか
冨永さん、本日はよろしくお願いします。
冨永
よろしくお願いします。
ちか
早速ですが、冨永さんは4年生ということですが、就活は終えられているんですか?
冨永
はい。アロージャパン株式会社、という会社から内定をいただいています。
ちか
大学の学部がスポーツ健康科学部ということですが、大学までは部活などはされていたんですか?
冨永
野球を小学校1年生の頃から大学入学後も硬式野球部に入部するなど、ずっと頑張ってきました。高校時代に甲子園に行けなかったのが自分の中の挫折経験としてあってずっとモヤモヤしていたこともあり、大学でも続けようと決めました。もともと野球特集番組「熱闘甲子園」に憧れていて。

「野球だけの人生でいいのか」15年続けた野球をやめるという大きな決断のきっかけとは。

 

ちか
大学入学後も野球を続けられていたんですね。TAMANI Barのような学外の活動はいつから始められたんですか?野球と両立されてるんですか?
冨永
実は野球は1年ほど前にやめたんです。
ちか
そうなんですね。TAMANI Barとは少し話がずれますが、野球をやめるという決断に至るまでの経緯をまず聞かせてください。
冨永
そうですよね、そこから話したいと思います。大学2年の終わりくらいまでは特に目的意識もなく野球を続けてきたところがあってそのまま体育教師になるのかな、とほんとぼんやり考えていたんですが、ちょうどその頃大学の講義でサイバーエージェントの社員さんのお話を聞く機会に恵まれて。”PC1台で日本全国を飛び回りながら仕事をする”。今まで学校の中っていう比較的小さい箱の中で働く体育教師の道しか考えていなかった自分には本当に衝撃的で、「こんな働き方をしている人がいるんだ」と初めて将来の自分の働き方について真剣に考えたんです。そこから体育教師以外の道を探し始めました。体育教師になるために必要な教職の履修もやめて一般就職のための時間を確保したり。ただ、ネットで調べたり、先輩に話を聞いてみたりしたものの、今まで野球しかしてこなかった自分にすぐ見つかるはずもなくて(笑)体育教師以外の道に進むことを決めただけでこれ、という道を見つけられずに結局だらだらと野球を続けてしまっていましたね。
ちか
そんな中、野球をやめるという最終的な決断に至った理由やきっかけは何だったんですか?
冨永
3年のサマーインターンでのちに内定先となるアロージャパンに出会ったことがきっかけでした。体育教師以外の道を模索しているうちに3年生になり、周りも就職活動を意識する時期になってくる。そうすると合説に参加する友達がちらほら出てくるようになって。当然焦りもあったので、自分も参加してみようと思い立ちました。その時偶然声を掛けられたのがアロージャパンで。アロージャパンのインターンシップに参加して、「世の中にはまだこんなに知らない世界があるんだ」「こんなにも面白いことがあるんだ」と初めて知りました。そこから、「もっと自分の知らない世界に足を踏み入れてみたい」「野球以外のことをやってみたい」「なんなら野球なんかやってる場合じゃない」と思うようになって。
そのあたりじっくり考えた時に、今、週6で野球をやるよりも意味ある時間を過ごせるんじゃないか、と思い15年間続けた野球をやめる決心をしました。

野球を続けてきてよかったこと


ちか
そういう経緯だったんですね、本当に大きな決断だっただろうと思います。今はやめてしまったわけですけど、長年野球を続けてきたことで得られたもの、きっと色々あると思うんですが、例えばどんなものがありますか?

冨永
そうですね、コーチや先輩などと関わる機会が多かったので、大人や目上の人との関わり方や基本的な礼儀、マナーを学べたことは人間としての基礎の部分ですごく役立っていると感じます。
ちか
確かに冨永さん、今日が初対面ですけど、すごく礼儀正しい方だな、と感じました(笑)野球で身につけられたものなんですね。就活の時はもちろん、社会に出てからも必須になる基礎的な部分ですよね。私も見習わなきゃです(笑)

週5でイベントに足を運び、2ヶ月で100人と名刺交換。やりたいこと探しに奔走する日々。

ちか
野球をやめられてからはどういった動きをされたんですか?すぐにTAMANI Barなどのイベント企画を始められたんですか?
冨永
いえ、すぐではないですね。野球と同時にバイトもやめたんですが、そこからは時間ができたので、東京の実家を使って都内で人に会う事に注力しようと思って、週5で就活関連のイベントへ行き色んな社会人や学生と会って話をする機会を持ちました。2ヶ月で100人と名刺交換するくらいの結構なペースでしたね。その過程でやりたい事をいくつも見つけることができて。そこからは、持ち前の行動力という武器を使って就活イベントを企画、開催しました。野球をやめてから2ヶ月後でした。
ちか
すごいですね(笑)行動力、尊敬します。
冨永
よく言われるんですけど、僕は行動力って誰でも身につけられる学生の特権的な武器だと思うので、やりたいという気持ちさえあれば、誰でも行動できるはずです。自分が特別だとかは全くないです(笑)自分自身本当に何の取り柄もない一般人だったので。何なら今もそうなんですけど(笑)そんな人でもやりたいことを実現できた証明になりたい、自分がロールモデルになりたい。そんな想いで日々生き、活動しています。 

「学生だけ」にこだわって運営しているTAMANI Bar TOKYO

ちか
今1番⼒を⼊れている活動と活動内容を教えてください。
冨永
TAMANI Bar TOKYOで「夢活相談」と「キャリア教育」に力を入れています。就活イベントではなくBARを「学生だけ」でやっています。「学生だけ」でやる力を身に着けるために、「お金がないから」「場所がないから」などそういった言い訳はせずに「学生だけ」で企画・運営することにこだわっています。当然「学生だけ」で運営するにあたっては様々なリスクや障壁があります。辛いことや難しいこともありますが、「誰でもできることではないこと」を成し遂げられる喜び、楽しさを感じています。
ちか
TAMANI Bar TOKYOを始めるきっかけになったこと・⼈・理由を教えてください。
冨永
アロージャパンのインターンで一緒になって知り合った学生がいたんですが、彼が関西でTAMANI Barをやっていたので、これを東京でもやりたい!と思い、東京支部を作った形ですね。 

人生を180度変えてくれたインターンの存在

冨永
先ほどちらっと話したんですが、僕はこのアロージャパンのインターンで人生が変わったと本当に思っていて。
ちか
どんなインターンなんですか?
冨永
簡単にいうとこんなスケジュールです。1次選考会→1泊2日@会社:コンサルティング体験ワーク→2泊3日:野外体験型チーム形成ワーク→4泊6日@ハワイ:新規事業視察、立案 とこんな流れです。
ちか
友達に誘われたんですか?それとも自分で見つけて?
冨永
初めての合説で迷彩柄の社員さんにハワイ行かない?と声を掛けられたんですがそれがアロージャパンの人事さんで(笑)その時はハワイにタダで行けるじゃん!って思って軽い気持ちで申し込みました。そんな感じで初めは誘われて申し込んだだけ、動機も不純という(笑)受け身な感じというか、積極的な感じじゃなかったですね。 
ちか
印象に残っているワークやプログラムはありますか?
冨永
2泊3日の野外体験型チーム形成ワークと最終日のスピーチですね。野外体験型チーム形成ワークといってもたかがインターンのグループワークなわけなんですけど、お互いのコンプレックスを打ち明け合って素を出せたことでチームのメンバーと本当の意味で仲良くなることができて。

「受動的から能動的に」大きな成長を感じた瞬間

ちか
最終日のスピーチではどんな出来事があったんですか?
冨永
30人の前でのスピーチでした。ここでスピーチできたのが自分にとっていい経験だったな、と。こういう所で前に出る人って、特別な人、何か特長がある人だと思っていたので、自分は特徴がないから今回も手を挙げないでいいや、ってそれまでの僕なら思ってたんだと思います。でも、そのとき、アローのインターンを経験したことで少し自信を持てている自分がいることに気づいて。勇気を出して手を挙げました。そしたら社員さんが自分を選んでくれて、自分でもできるんだ、自分でもやっていいんだと思えたんです。そこで自分の思いの丈を打ち明けたことを高く評価していただいて。ここが結構ポイントで、自分の中の姿勢が受動的だったところから能動的に変わった瞬間だったなと。
ちか
最終日のスピーチではどんな出来事があったんですか?
冨永
30人の前でのスピーチでした。ここでスピーチできたのが自分にとっていい経験だったな、と。こういう所で前に出る人って、特別な人、何か特長がある人だと思っていたので、自分は特徴がないから今回も手を挙げないでいいや、ってそれまでの僕なら思ってたんだと思います。でも、そのとき、アローのインターンを経験したことで少し自信を持てている自分がいることに気づいて。勇気を出して手を挙げました。そしたら社員さんが自分を選んでくれて、自分でもできるんだ、自分でもやっていいんだと思えたんです。そこで自分の思いの丈を打ち明けたことを高く評価していただいて。ここが結構ポイントで、自分の中の姿勢が受動的だったところから能動的に変わった瞬間だったなと。
ちか
受動的から能動的に?
冨永
はい。最初アローのインターンに応募した時は、人事に誘われたから応募しただけで受け身、受動的でした。でも最終的に今までの自分だったら絶対手も挙げなかったタイミングでスピーチに立候補することができた、能動的になることができました。そして、その姿勢の変化から「今後自分は将来どうなりたいのか?」そんな問いを考えるきっかけにもなりました。その問いを考える中で「このままだと1回しかない人生で野球しか知らないで終わる事になる。1回しかない人生そんなことでいいんだろうか、いやよくない」という結論に達して。それまで野球に対してずっと持っていたモヤモヤが消えて、先ほども話しましたけど、野球をやめるという大きな決断をすることになりました。このインターンに参加していなかったら野球をやめる決断もなかったかもしれない、と思うと本当の意味で人生を変えてくれたインターンだったなと感じます。 

できるって信じて努力した人だけができる

ちか
今後やりたいことや野望、成し遂げたいことを教えてください。
冨永
僕はアローのインターンで自分の思いの丈を出し切ったスピーチをすることができました。それまでは聞く側だったのが、話す側になって。受動的から能動的に変わって。それまでは「どうせ無理だ」って思う気持ちが大きかったんですが、「できるって信じて努力した人だけができるんだ」そんな風に考え方が大きく変わりました。具体的なプランで話すと、27〜30歳の間で起業しようと考えています。そのあとは普通のサラリーマンができないことって何だろう?って考えて立てた目標なんですが、40歳までに、シリコンバレーで活躍して有名になりたいですね。45歳くらいまでに不労所得を作って、そこからは講演などやりたいことをして過ごしたいな、とざっくりイメージしています。将来的には、純粋に人に愛される人になって、最終的に死ぬ時は、盛大なお葬式を開いてもらえたら本望ですね(笑)

どんな人と一緒に働きたいか、どんな人に会いに来て欲しいのか

ちか
TAMANI Bar TOKYOの運営、そして将来の起業など今後も精力的に活動されていくことと思います。同僚、仲間としてぜひ一緒にやっていきたいなと思う⼈はどんな⼈ですか?また直近でこんな⼈にぜひ会いに来て欲しいなどあれば教えてください。
冨永
自分と同じように今までは受動的に生きてきて挑戦してこれなかった過去がある、でもこれからは能動的に何かを成し遂げたい、そんな野望がある人ですね。能動的に動くことにはリスクが伴うので、「安定志向」というよりは「野心家」、「リスク歓迎型」とでもいいましょうか。そういった「一歩踏み出す」と決めた人に来て欲しいです。既に「一歩踏み出した」人ももちろんいいのですが、まだ決意して何をしなければならないかわからない、でも「一歩踏み出す」と決めた人に1番来てほしいです。

できない理由を並べる前にまず行動してみて欲しい

ちか
最後に、これから一歩踏み出す学生たちに大切にして欲しい、意識して欲しいことは何かありますか?
冨永
「できない理由を並べる前にまず行動してみる」という姿勢ですね。野球をやめて学外に出始めた当時に意識していたことが、まさにそれで。
できない理由、やらない言い訳が浮かんだ時に、どうしたらそれを解決できるのか、1つずつ全て分解してしっかり考えていける人も中にはいると思います。でも僕にはそれはできなかった(笑)アロージャパンのインターンだって、ハワイに行けるの!?じゃあ行くっしょ!とそんな感じで、いろいろなことを考える前に決めていました。この姿勢が今の自分を作ってくれています。考えすぎてやらないくらいなら、考える前にやってみた方がいい。ぜひ、できない理由を並べる前にまず行動に移してみてください。きっと新しい自分に出会えると思いますから。

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