沢山の感動をありがとう!浅田真央さん引退発表会見を噛み締めながら書き起こす

目次

改めての引退発表で会見がスタート

浅田)みなさんこんにちは。浅田真央です。本日はお忙しい中、このような場にお集まりいただき、本当にありがとうございます。

2日前にホームページで発表しましたが、また改めてご報告いたします。

私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。でも、そのたくさんの山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。本日はよろしくお願いいたします。

 

記者1)よろしくお願いします。

 

浅田)よろしくお願いします。

 

記者1)まずはお疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございます。

 

記者1)2日前ブログで引退を発表されて、改めて今どんな心境でしょうか?

 

浅田)いやまず、本当に今日、この場に立った時、入ってきた時に本当にこれだけの、たくさんの方が、いらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今はちょっと落ち着いています。

 

記者1)いろんな人から引退の後言葉をかけられたと思います。何か印象に残った言葉っていうのはありましたか?

「ああ、なんか選手生活終わるんだな」っていう気持ち

浅田)そうですね、発表してからは本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、みなさん「本当にお疲れ様」、っていう言葉をかけてくださったので、私自身も「ああ、なんか選手生活終わるんだな」っていう気持ち、になりました。

 

記者1)親しい人への報告というのは、どのような形でされましたか?

 

浅田)そうですね、少し前ですけど、家族だったり、友達に報告しました。

 

記者1)何か印象に残る言葉とかありましたか?

 

浅田)いやあもうみんな「お疲れ様」って「よく頑張ったね」って言ってくれました。

 

記者1)引退を決めたきっかけについて伺います、具体的にどのぐらいの時期から引退ということを考えたんでしょうか?

復帰前よりも少し辛いことの方が多くなった

浅田)そうですね、私は復帰してから、いい形でスタートできたんですけど、やっぱりそこから練習をするにつれて、試合に出るにつれて、やっぱり今のスケート界の時代はすごいので、私自身もついていけるのかな、という思いが強くなったり、あとはやっぱり気持ちだったり、身体の部分でやっぱり復帰前よりも少し辛いことの方が多くなりました。なんとか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは「なんとか、なんとか頑張ろう」という思いだけでやってきました。

でも、やっぱり最後の全日本選手権で、「ああ。もう、なんだろう、もういいんじゃないかな」っていう風に思えました。

 

記者1)その全日本選手権から今まで3ヶ月近くありましたけども、その間はどんな思いだったんですか?迷いも含めていかがですか?

 

浅田)そうですね、あの、やはり、自分が復帰してからずっと掲げてきた、平昌オリンピックに出るっていう目標があったので、私自身そこですごく、言ってしまったこと、自分が目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、その自分が言ってしまったこととの葛藤はずっとありました。

 

記者1)全日本選手権がきっかけになったということですけど、具体的には、時期的にはいつ頃決心したんでしょうか?

「ああ、もう、終わったんだな」

浅田)全日本終わって全て結果が出た時に、「ああ、もう、終わったんだな」っていう風には思いました。でも、日が経つにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことっていうのは、やっぱり今まで最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかな、っていう思いの方が強くて、やはりここまで延びてしまいました。

 

記者1)平昌オリンピックへの思いもあったと思いますが、それを上回るくらいの達成感があったということでしょうか?

今は挑戦して、何も悔いはない

浅田)そうですね、私はソチオリンピックが終わってから、最高の形で終えることができたんですけど、やはり自分の身体もまだまだできますし、自分の気持ちとしてもまだまだやれるっていう思いがあったので、復帰しました。

でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも身体も自分の気力も、もう全部出し切ったので、今は挑戦して、何も悔いはないです。

 

記者1)最後の大会になった全日本選手権でトリプルアクセル挑みましたよね?その全日本選手権の最後挑んだ気持ちも含めて振り返っていかがですか?

 

浅田)そうですね、あの、まああの、最後になるのかな、っていう気持ちは、ソチオリンピックの、世界選手権ほどではなかったですけど、でも最後、まあトリプルアクセルを挑戦して、終えれたことは、なんか自分らしかったかな、っていう風には思います。

 

記者1)それでは現役生活を振り返っていただきます。初めてスケート靴を履いた日のことって覚えてらっしゃいますか?

 

浅田)私は覚えてないんですけど、5歳だったので、でもあのヘルメットを被って、スキーウェアを着て、肘当て膝当てをしてたのは写真に残っているので、覚えています。

 

記者1)どうですか?それから20数年間、スケートをやってきて1番楽しかったことってどういうことでしたか?

 

浅田)やっぱり小さい頃に、フィギュアスケートっていくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになった時っていうのは、本当に楽しい気持ちで。

じゃあ次2回転飛びたい、次3回転飛びたいっていう。そういう思いがすごく楽しかったですね。

 

記者1)逆にプレッシャーも背負って辛かったこともあると思いますけども、辛かった部分というのは今、どう受け止めていますか?

辛いと思ったことはありません

浅田)いや辛かったことは、そんなになくて、やっぱりこの道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません。

 

記者1)2回のオリンピックを振り返っていただきます。まずはバンクーバーオリンピックでは銀メダルを手にしました。まずはバンクーバーの思い出、今振り返っていかがですか?

 

浅田)はい。バンクーバーは19歳だったんですけど、すごく、10代で若くて、本当に気が強くて、本当にその強い気持ちだけで、乗り越えてきたなっていう感じがします。

 

記者1)そして4年後のソチオリンピックでは、素晴らしいフリーで国民に感動を与えてくれました。ソチオリンピック振り返って今どんな思いでいらっしゃいますか?

 

浅田)はい。ソチオリンピックは、やはりショートが、残念な結果だったので、本当に気持ち的にはすごく辛い試合ではあったんですけど、フリーでああいう形で最高の演技で終えることができて、まああの気持ちの状態から、バンクーバーからソチ、その4年間の思いを全てその4分間に注ぎ込めたと思っています。

 

記者1)2度のオリンピック、経験というのは、浅田さんにとってどんな経験になりましたか?

今後の人生においてもいい経験だったり、いい思い出だった

浅田)私の今後の人生においてもいい経験だったり、いい思い出だったのかなという風に思います。

 

記者1)そして3回の世界選手権優勝、これは日本人最多です。印象に残っている大会、ことというのは何かありますか?

 

浅田)はい、そうですね、2回世界選手権で金メダル獲った時は、全てオリンピックの後の世界選手権だったので、なんかそのオリンピックの悔しさっていうのをその世界選手権で晴らせた?大会だったかなという風には思うんですけど、私最後の世界選手権が一応自分の気持ちの中では最後と思って臨んだ試合だったので、すごく、今までのスケート人生を全てそのプログラムにぶつけた、試合だったので、やっぱり最後の世界選手権が、思い入れは強い試合でした。

最も印象に残っている演技

記者1)現役生活振り返っていただいて、どうでしょうか、最も印象に残っている演技、今1つ選べと言われたらどれになりますか?

 

浅田)うーん、難しいですね、やっぱり、1つというのは難しくて、うーん、でもやっぱりソチのフリーかなっていう風に思います。

 

記者1)やっぱりあの時間に込めた思いというのは、大きかったですか?

 

浅田)そうですね、やはり気持ちがすごい今までの試合以上にちょっと落ち込んでいたり、辛かったりした部分もあったんですけど、まあそれでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、そしてそれがオリンピックだったということが、1番よかったのかな、という風には思いますけど。

2人のコーチの存在

記者1)長らく指導を受けた2人のコーチについて、伺いたいと思います。

まずは山田コーチにご報告されたと思いますけど、どんな思いがありますか?

 

浅田)満知子先生は小さい頃に指導を受けていたんですけど、本当にスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさ?を教えてくれました。でもその一方で、スケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。

 

記者1)そして、佐藤コーチ。佐藤コーチへの思いはいかがでしょうか?

 

浅田)佐藤コーチは、大人になってから指導を受けたんですけど、やはり自分の意思もすごく強い方、というか強いので(笑)先生と色々話し合いをしたりする機会も多かったんですけど、自分の意見もしっかり聞いてくださってそれを静かにこう、見守ってくれていた先生でした。

 

記者1)特に休養があってから戻ってきてからの2シーズン間は、その佐藤コーチとのやり取りも色々あったと思います。

 

浅田)はい。

 

記者1)振り返ってみてこの2年間の意味、復帰してからの意味というのはご自分の中でどう捉えていますか?

もう1度自分でチャレンジすることができて、よかった

浅田)意味。うーん、そうですねあの、ソチオリンピックのシーズンで、世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今も、まだできたんじゃないかなという風に思っていたと思います。でも自分が望んで復帰をしてチャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはないので、そういった意味でもう1度自分でチャレンジすることができて、よかったなという風に思っています。

引退後の活動について

記者1)それでは今後のことについて伺います。まずは今後、浅田さんがどんな仕事をしていくのか、注目されると思うんですが、まずは自分の中でどんなプランがありますか?

 

浅田)はい。まずもうすぐ夏にあるのが、ザ・アイスのアイスショーなので、そこでまた選手生活を終えて初めてみなさんの前で滑るので、いい演技を目指して頑張りたいなという風に思っています。

 

記者1)フィギュアスケートにどういう形で携わっていくんだろう、と我々は考えるんですけれども、その辺りはいかがですか?

フィギュアスケートに恩返ししたい

浅田)やはり私5歳からスケートを始めて今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいな、という風に考えています。

 

記者1)具体的なプランはこれから、という感じですかね?

 

浅田)そうですね、はい。

日本フィギュアスケート界の今後にエール

記者1)そして、日本フィギュア界について伺います。浅田さんに憧れてスケートを始めた選手たちが今トップスケーターになってきました。そういう環境も含めて、日本フィギュアスケート界に、今後についてエールをお願いします。

 

浅田)そうですね、うん。引退された本当に大先輩のみなさんをはじめ、私も引退をすることになったんですけど、今までスケート界を引っ張ってこれたかな、という風に思っています。これからは、今若い選手が本当にどんどん出てきていますので、若い選手が若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていって欲しいな、という風に思います。

 

記者1)浅田真央さんにとって、フィギュアスケート、改めて今振り返ってみてどんな存在ですか?

 

フィギアスケートは一言でいうと、”人生”

浅田)存在。うーん。どんな存在ですかね。いやあ難しいですけど、まあ一言でいうと、やはり人生かな、っていう風に思います。

 

記者1)今引退を発表されて、自分を褒めてあげられる部分、褒めたい部分というのはどういうところですか?

 

浅田)私結構飽きてしまうことが多いんですけど、なんでもすごくはまってしまったらすごくそれにはまってしまうんですけど、それがこう、すぐに飽きちゃう性格で、でもこのスケートは、5歳から26歳まで続けてこれたので、「長い間すごいね、続けてきたね」、って言いたいです(笑)

 

記者1)そういった意味ではどういうスケート人生でしたかね、今まで振り返ってみて。

 

浅田)やっぱり私の全てがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。

ファンへ一言

記者1)ファンのみなさんも浅田さんをずっと支えてきたと思います。浅田さんと共に歩んできたファンのみなさんへも一言お願いします。

 

浅田)本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、いい時も悪い時も諦めずに応援してくれてたので、私もすごくそれが励みになりましたし、それがすごくパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

記者1)ありがとうございました。代表質問以上です。

 

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記者2)現役生活本当にお疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございます。

 

記者2)少しどうですか?今、緊張、先ほど喉を潤してましたけど。

 

浅田)すごい熱気も、結構すごいですし、たくさん喋るので喉乾いちゃいました(笑)

 

記者2)よければどうぞ、一口、大丈夫ですか?

 

浅田)はい。今。飲みました。

 

記者2)アスリートならば誰もが迎えるこの引退という日なんですけど、自分が思い描いていたイメージしていた形と、今実際この日を迎えられて、いかがでしょうか?

「ああ、引退するんだなあ」という気持ちはやっぱり湧いてきます

浅田)本当に発表するまであまり自分の中ですごい実感というのはなかったんですけど、またこうして改めてここに座って今までのことを振り返りながら話していると、まあ少しずつ、「ああ、引退するんだなあ」という気持ちはやっぱり湧いてきますね。

 

記者2)気持ち的には淋しいのか、少しホッとしているのか、あるいはこう清々しいのか、いかがでしょう?

 

浅田)本当に気持ちはすごく晴れやかな気持ちです。

 

記者2)まあこれからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し暖かい生活が待っていますけれども、その辺りいかがでしょうか?

 

浅田)そうですね、あの、私は1月から3月までは、あ、今4月(笑)。1月から4月までは、スケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。

本当に自分は全てやり尽くしたんじゃないかな

記者2)最後に1つだけ。今、清々しい、という気持ちがありましたけども、何か一つ現役生活でやり残したこと、何か悔やむこと、というのはありますでしょうか?

 

浅田)本当に決断をするにあたって、本当にたくさん悩みました。でもそういったやり残したことはなんだろうって思うことがなかったので、それで本当に自分は全てやり尽くしたんじゃないかなっていう風に思います。

 

記者2)ありがとうございました。

 

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記者3)本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました、とまずはお伝えしたいです。

 

浅田)ありがとうございます。

本当に晴れやかな気持ち

記者3)今日は白いブラウスに白いジャケット、というお召し物ですけれども、その真っ白のお洋服というのに込められた思いというのはあるんですか?

 

浅田)そうですね、黒のスーツか、白、どちらにしようか、色々悩んだんですけど、自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。

ノーミス、にこだわり続けた思い

記者3)清々しい気持ち、というのが伝わってくるようでもありますけれども、これまでの真央さんの競技人生の中で何度も出てきた言葉というのが、ノーミス、だったと思うんですけど、そこまで完璧、パーフェクトというのにこだわり続けた、というのはどういう思いがあるんですか?

 

浅田)やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきてるからこそ、やっぱり誰もが失敗したくないと思うと思うんですけど、自分はでも、試合にそんなに強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかな、という風にも思っています。

 

トリプルアクセルの存在

記者3)それからもう1つ、真央さんといえばトリプルアクセル、だと思うんですが、このトリプルアクセルというのは真央さんにとってどんなものでしょうか?

 

浅田)私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが飛びたい、とずっとその夢を追ってやっぱりやってきたので、本当に飛べた時はすごく嬉しかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その反面やっぱり悩まされることも多かったです。

たくさんの方に応援してもらえて本当に幸せ

記者3)もう1つだけ。真央さんは5歳の時にスケートを始められましたけども、今もしタイムスリップして5歳の時の自分に会うことができたら、どんな言葉をかけますか?

 

浅田)うーん、難しいな、そうですねえ。頑張ってって(笑)はい。

 

記者3)どういう思いを込めてそれは?

 

浅田)やっぱり私はこれだけフィギュアスケートをやってて、やっぱりたくさんの方に応援してもらえて本当に幸せだなあ、という風に思いました。なので大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを多分送ると思います。

 

記者3)どうもありがとうございます。

 

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記者4)どうもお疲れ様です。

 

 

浅田)ありがとうございます。

 

子供達にアドバイス

記者4)以前浅田選手が子供さん達と接している様子がすごく印象に残っているんですけど、浅田選手の経験から日本・世界の子供達に何かアドバイスというか、声をかけられることがあるとしたらどんなことでしょうか?

 

浅田)そうですね、私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今から始める子には、やっぱりスケートを大好きな気持ちを忘れないでね、って言いたいかな、っていう風に思います。

そうですね、私も子供が大好きなので、以前にもスケート教室とかはやっていたんですけど、また機会があればぜひやりたいな、という風に思っています。

 

記者4)ありがとうございました。

 

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トリプルアクセルに声をかけられるとしたら

記者5)浅田さん、お疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございます。

 

記者5)浅田さんに伺いたいのは、やはりトリプルアクセルのお話なんですけども、先ほど自分の強さでもあり、悩まされる存在でもあったということなんですが、あえてトリプルアクセルに声をかけられるとしたらどんな声をかけたいですか?

 

浅田)(笑)難しいですね(笑)トリプルアクセルに声をかけたい。トリプルアクセルに声をかけたいんですよね?

 

(会場笑い)

 

浅田)どうしよう。なんでもっと簡単に飛ばせてくれないの?って感じです(笑)

今まで続けてこれた支え

記者5)もう1つ。先ほどですね、よくここまで続けてこられた、とご自身に声をかけたい、というお話がありましたけど、その続けてこられたその支え、となったものはなんだったんでしょうか?

 

浅田)1つは、やっぱり自分の目標ですね、それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、そしてたくさんの方の応援があったからだと思っています。

 

記者5)1つは応援。他にもありますか?

 

浅田)今思いつくのはそんな感じですね(笑)

 

記者5)ありがとうございました。

 

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オリンピックの枠が減ったことについて

記者6)引退の決断まで時間がかかったかと思うんですけど、まず今年の世界選手権でオリンピックの枠が3から2になると決まりましたけども、それをどう受け止めてらっしゃったかというのと、それが何か引退の決断に影響したのかどうか、そこら辺をお伺いできますでしょうか?

 

浅田)私は、そのさっき自分で言っていた、平昌オリンピックに出る、その目標をやめてしまう自分を許せるのかなあ、許せないのかなあって思いながらずっと過ごしてきて、でも最終的に最後話し合いをして決めたのが、2月だったので世界選手権が影響した、というわけではなくて、自分自身が最後決めることですし、そんな感じです(笑)

はい。決めました。2枠になってしまったことに関しては、残念なことではあると思うんですけど、やはりその2枠を、やっぱり大勢の、たくさんの選手の子達が争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかな、と思っています。

 

記者6)もう1点だけよろしいですか?2月に決断して、この4月に発表になったというのは、その2ヶ月間ぐらいはどういう流れというか思いがあったんでしょうか?

 

浅田)そうですね、まあ色々と自分の気持ちの準備だったり、もあり今日に至りました。

 

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最終的に決めたのは自分自身

記者7)TBSの宇内と申します。本当にたくさんの感動をありがとうございました。

引退を決意するまでに、本当に目標を掲げたのにここでやめていいのかな、と悩んでいたとおっしゃっていましたけども、この全日本選手権がおわってからの3ヶ月間、一体どなたが1番その決断を後押ししてくれたのか、心を軽くしてくれたのか、教えてください。

 

浅田)家族だったり、お友達だったり、知ってる方に相談はしました。本当にみなさん、それぞれいろんなアドバイスはくれたんですけど、最終的に決めたのは自分自身なので、その中でも旅行に行ったり、色々今まで行けなかったようなところに行ったりして、その中でも考えながらずっと日々を過ごしてきて、決断しました。

 

記者7)最終的にはご自身の中で決断できたということなんですね。

 

浅田)はい。

感謝、という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたい

 

記者7)21年間という非常に長い競技人生、本当に続けてくること自体が大変だったと思うんですけど、何かどなたかにかけられた、一番印象に残っている言葉であったり、ご自身が一番大切にされている言葉、何かありましたら教えてください。

 

浅田)でも、本当にこの決断をしてからは、本当にたくさんの方に暖かい言葉を、メッセージを送ってくださったので、私自身本当に晴れやかな気持ちでこの場にいます。

なのでやっぱり感謝、という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいな、という風に思っています。

 

記者7)ありがとうございます。

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日本スケート界に貢献できた部分

記者8)浅田選手が試合に出始めた21世紀の初めの頃、っていうと変ですけど、今こんなに多くの方がいて、ショーも行われてたくさんの方がフィギュアという競技に興味を持つようになってきたと思うんですけども、こうやってスケートが日本でブームになって、世界でも強い国になったということに、浅田さんとして自分はどういう風に貢献というか、力になったのかなと思うかということと、自分がやった、超えてきたことというのがこれからも日本のスケート界で続くためにどういう風にしていきたいなあ、というところを教えてください。

 

浅田)私が小さい頃というのは、伊藤みどり選手をはじめ、本当にたくさんのトップの素晴らしいスケーターがいました。私はそのスケーターの方々を見て、私もこうなりたい、と思ってずっとそれを目指してやってきました。

そして、ジュニアだったりシニアに上がってからは、本当にスケーターみんなそれぞれ強くて魅力のある選手ばっかりが集まって、それぞれがいい刺激をし合いながら切磋琢磨して頑張ってきました。そしてそれを応援してくださる、メディアの方だったりファンの方だったりがいたから、やはりここまでフィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかな、という風に思っています。なのでこれからのスケーターの子達には、みんなでそれぞれ高め合って、刺激をし合いながら頑張っていって欲しいな、という風に思っています。

 

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記者9)お疲れ様でした、そしてどうもありがとうございました。

 

浅田)ありがとうございます。

伝説のソチ大会。ショートプログラムの失敗からの立ち直り

記者9)選手人生におきましてたくさんの山があった、と冒頭おっしゃいました。あの伝説のソチ大会についてお伺いしたいんですが、ショートプログラムから20数時間の間にどのようなきっかけで立ち直って、あの世界中が感動したフリーの演技に繋げることができたのか、各種報道はあるんですけども、立ち直ることができたきっかけにつきまして、改めてお聞かせください。

 

浅田)ショートが終わってからは本当に「ああ、日本に帰れない」とすごく辛い思いもしたんですけど、フリーの当日の朝もまだ気持ちが切り替わっていなくて、ああこのままで大丈夫なのかな、という形で練習、公式練習を終えました。でも試合が近付くにつれて、メイクをしてアップをしてリンクのドアを出た瞬間にすごい会場で、ああこれはもうやるしかないなって、いう思いが出てきて、ようやくその時にですね、やるしかないって思いました。

泣いてちゃだめだなあと思って頑張って笑顔にしました

記者9)競技が終わった瞬間はどうでしたか?満面の笑みだったんですけども、どういう気持ちだったんでしょうか?

 

浅田)最後のポーズ、上を向いてたんですけど、ああ終わった、って。思いましたね。それと同時にやっぱりああよかった、って思いがすごく込み上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど、バンクーバーの時にも悔し涙を流していたので、ああ泣いてちゃだめだなあと思って頑張って笑顔にしました。

 

記者9)ありがとうございました。

 

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不安とかは何もない

記者10)お疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございます。

 

記者10)今日はある意味、浅田選手の競技選手としての卒業式かと思うんですけれども、と同時に新しい道に進む、入社式といいますか、こう、セレモニーかと思うんですが、あえて、今の時期は新入社員の方も多い時期かなと思うんですけども、そういう1人として浅田選手がこれから不安に思っていることとか、心配なこととか、何かそういう、違う世界に進むということで考えていることがありましたら教えてください。

 

浅田)私も本当にまた新たな1歩だと思っています。でも不安とかは何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも新たな経験をして、元気に前を向いて進んでいきたいな、という風に思っています。

奇しくも同時期に引退したあの選手についても

記者10)あともう1つ。プルシェンコ選手も先日競技引退を発表されましたけども、長く競技の世界で戦ってきた仲間として、この偶然といいますか、そういう時期とか何か思うことありますか?

 

浅田)プルシェンコ選手も引退されたということで、本当に私よりも長い選手生活、そして本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。なので、心からお疲れ様でした、と言いたいです。

 

記者10)ありがとうございました。

 

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大事にしてきたこと、信念

記者11)本当にお疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございます。

 

記者11)浅田真央さんの前を向く姿、いつも戦い続ける姿というのが本当に印象的だったんですが、その前を向く中で大事にしてきたこと、信念というのはどんなことですか?

 

浅田)本当に小さい頃からこれは変わらないんですけど、1日1日もそうなんですけど、何かこれがしたい、という目標を持ってずっとやってきました。なのでその目標を達成する、という強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。

 

記者11)今、すごく忙しかった選手生活を終えて時間が少しできたとは思うんですが、1番やりたいこと、どんなことですか?

 

浅田)私、1月2月3月と時間があったので、旅行に行ったり美味しいものを食べたり、することができました。

 

記者11)ありがとうございます。

 

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キム・ヨナ選手の存在

記者12)競い合うこと、その大切さ、若手におっしゃっていましたが、ご自身もキム・ヨナ選手とも競い合ってきました。彼女への思いというのは、改めて今の時点でいかかでしょうか?

 

浅田)私たちは15歳、16歳くらいから一緒にジュニアの試合だったりシニアの試合だったり、一緒に試合に出てきました。

本当にお互いいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなという風には思っています。

 

記者12)ありがとうございます。

 

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最後の全日本選手権に臨んだ気持ち

記者13)浅田さん、お疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございました。

 

記者13)まず、最後の全日本選手権、滑った時に、もういいんじゃないかな、と思ったとおっしゃっていましたけれども、あの全日本に向けてはどんな気持ちで臨んで、そして滑り終わった時には何がもういいんじゃないかな、と思えたんでしょうか?

もういいのかもしれない

浅田)試合に向かう気持ちというのは、1つ1つの試合変わらないんですけど、常にノーミス、さっきも自分で言ったんですけど、ノーミスをする、完璧な演技をする、そして自信を持って滑る、というのを考えていました。

演技が終わった時に、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活の最高の演技ではなかったので、少し多分悔しい気持ちもあったんじゃないかな、という風には思うんですけども、まあその後、キスアンドクライに座って、得点が出て順位が出た時に、「あ、うん。もういいのかもしれない」という風に思いました。

 

記者13)「もういいのかもしれない」というのはどういうことですか?

 

浅田)やはりあの、全日本選手権を今まで12歳から出場しているんですけど、1番残念な結果で終わってしまって、その結果も1つ大きな、決断に至るにあたって大きな出来事だったんじゃないかな、っていう風には思っています。

戻ることはないと思う

記者13)あともう1つ。もしも1度だけ過去に戻れるとしたら、いつの自分にどんな言葉をかけてあげたい、アドバイスができるとしたら、いつに戻ってどういうことを言ってあげたいですか?

 

浅田)26年間ですもんね。難しい(笑)でも本当に。戻ることはないと思うので、あんまり今ぱって答えは出てこないですね。

 

記者13)ありがとうございます。

 

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オリンピックへの思い

記者14)テレビ東京の鷲見と申します。21年間、本当にお疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございました。

 

記者14)平昌までやりたい、という風におっしゃっていたことが引退を悩ませていた、というお話をされていましたけれども、今オリンピックについてどういう風に思われますか?

 

浅田)本当にあと1年で平昌オリンピックということで、多分選手の方々はみんなそれぞれいろんな思いを持って今、日々生活していると思います。なので私はエールを送りたいです。

 

記者14)これまでそのオリンピックの舞台も経験されていますが、真央さんにとってオリンピックという舞台というのはどういう場所だったでしょうか?

 

浅田)うん。うーん。うん。やはり4年に1度ですし、選手である以上はそれを目指して、私も小さい頃からやってきたのでそこに出れた、そしてメダルを獲れた、ということは本当によかったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だな、という風に思います。

もう1度人生があるならスケートの道は行かない

記者14)最後に1つだけ。もし生まれ変わるとしたらもう1度フィギアスケーターになりたいですか?それともまた別のものになりたいですか?

 

浅田)今、こうして26歳までスケートをやって、全てやり切って、もう何も悔いはないので、もしもう1度人生があるならスケートの道は行かないと思います。

 

記者14)例えば何になりたいな、っていうのはありますか?

 

浅田)本当に、色々ありますね、やっぱり。なんだろう。

 

記者14)思い浮かぶものは何でしょう?

 

浅田)私食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとかカフェとか、あのそういうレストランだったり、そういうのをやっていたのかな、という風にも思ったりもします。

 

記者14)ありがとうございます。

 

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自分が言ったことは必ずやり遂げる、というポリシー

記者15)どうもお疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございました。

 

 

記者15)真央さんは自分が言ったことは必ずやり遂げる、というポリシーがあるという風におっしゃっていました。このポリシーはどなたから授かった教えなんでしょうか?教えてください。

 

 

浅田)やはり母かなという風に思います。あとはまああの、こういう性格なので、すごく、頑固っていうんですかね、普段はそんなことないんですけど、自分が決めたことに関しては一応頑固なつもりです(笑)

目標を達成するとこんなに嬉しいんだ〜”浅田真央”というアスリートの原点〜

記者15)その、自分の言ったことを必ずやり遂げるというそのポリシーを貫いた最初の体験、いつだったか覚えてらっしゃいますか?

 

 

浅田)しっかり覚えているのは、小さい頃に毎年野辺山合宿という新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを飛ぶって決めて合宿に行って初めて降りた、のが1番記憶にあります。

 

 

記者15)そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点と考えてよろしいんでしょうか?

 

浅田)そう、自分で言うのもちょっと(笑)あれですけど。その時に、目標を達成するとこんなに嬉しいんだなって。また頑張りたいなって、思えた時でした。

 

記者15)わかりました、ありがとうございました。

 

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結婚のご予定は?

記者16)浅田真央さんにお聞きしたいんですけど、ご結婚のご予定はありますか?

 

浅田)(笑)ご結婚のご予定ですか?ないです(笑)でもお相手がいれば。その方と一緒に(今日)帰れたんですけどね(笑)

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台湾の記者から

記者17)相手がいればとのことですが、(卓球の)愛ちゃんのように台湾の人と結婚すること可能でしょうか?

あとずっと寒いリンクにいらっしゃったので、暖かいところ、例えば台湾でのんびりしたりとかそういうことはあるんでしょうか?

 

浅田)私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいればご紹介してもらいたいな、という風に思います。私本当に1つ行ってみたい国が台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます(笑)

 

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プロスケーターとしての今後について

記者18)お疲れ様でした。

 

浅田)ありがとうございました。

 

 

記者18)今後、ザ・アイスを含めてプロスケーターとしても活躍されていくご予定だと思いますが、プロスケーターとしてどういうスケートを今後見せていきたいと思いますか?

 

 

浅田)1番近くにあるのはザアイスなので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビションナンバーも作ります。そのエキシビションナンバーで今までのスケート人生全てそのプログラムに注ぎこめるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。

 

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涙を堪えて2度カメラに背を向け言葉を絞り出した浅田

司会)では以上で本日の会見を終了させていただきたいと思います。最後に浅田真央の方からみなさまにもう1度ご挨拶をさせていただきます。

 

浅田)みなさん今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、暖かいお言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。

(涙を堪える。カメラに背を向ける。振り返って笑顔を作る。)

 

浅田)スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて笑顔で、

(言葉に詰まる。)

 

浅田)前に進んでいきたいと思っています。

 

(もう1度涙を堪える。カメラに背を向ける。「はいっ。」と言いながら振り返る。)

浅田)みなさん応援どうもありがとうございました。

 

(会場拍手)

 

参考にした動画など

今回の記事はTHE PAGEの動画を参考に書き起こさせてもらいました。

誤字脱字があるかもしれません。ご了承ください。

アイキャッチ画像出典は

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-f3-c6/yoshimizushrine/folder/1505325/87/61698687/img_2?1327451564

 

 

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